外国人が増え、知る人ぞ知る川口市などで、どこかのアイスクリームみたいな名前の国から来た、ドラゴンボールに出てきそうな名前の人々が、地域住民と大変な不和を起こしており、それは、日本中をいまから覆い尽くす、回教の世を100年せんだって見ているようで、心許ないというか、もったいないというか、少し寂しい思いをしています。
生徒たちに教えておかなければならないことは、まず、幸せとは「信頼できる仲間の中にあって、頼ることができ、頼られること」であるということ。また、この話の元になっているハーバードの研究によれば、幸せは「健康」や「地位名誉」や「おかね」と相関が小さい、ということ。勉強も、自らを豊かにし、周りを豊かにし、明日をより良く生きること、この世の中をより良くすること、なにより、楽しいからやることであり、勉強できることは幸せなことです。
話を戻します。なぜ我が国はこのように外国人の増大に弱いのかというと、そもそもこの国の仕組みを近代風に整え始めた160年前には、まだこの国に外国人が増える未来が全く予想されていなかった事が挙げられると思われます。
それは今なお続いており、平和に暮らす日本国民の大多数は、「明日、我が家の隣に異国異宗教の一家が暮らすようになり、明後日、それが街中のいたるところでみられるようになって、神社とお地蔵さまが姿を消す」なんてことは、言われても全く意味がわからないことでしょう。
では我々は今からゆるやかに何を失っていくのか、それは「返報性」です。店員さんが私たちにやさしいのは、私達がpolitelyに居るからであり、今後もよりpolitelyであろうとするからです。これは店側から客側に暗に「返報性」を期待しているからでしょう。もし返報性が期待値を下回った場合、無礼な客のせいで店員も店も永遠に僅かずつ心を削られ修繕費を増やされ、日々疲弊してゆき、得られるはずの金銭価値以上の働きをすることは生存戦略上の不利になりかねないわけです。
既に移民で大変なことになっている欧州や、そもそももともと大変な国々を見聞きするにつけ、ずっと抱いていた「なぜ我が国は」の疑問への自分なりの答えが「返報性」でした。
また思考が整理できそうでしたら追記します。
蛇足ですが、良い結婚相手を探す鍵も「返報性の高さ」だと考えています。
賢い人ほど返報性が高い傾向にありますが、絶対ではありません。
やはり勉強をしましょうか。