亡、鳴、無、泣、
最近、ただ泣く、ということはありましたか。
心から笑う、心から泣く、そんな毎日は、振り返れば、幸せな人生だといえそうです。
私たちが心を重視して生きていけばいいこと、感動こそが人生の中心なんじゃないかと、人々は知り、共有し、教育にあたります。
イーロンマスクがどうして「個人資産から」6兆4000億円も払ってTwitterを買ったのか、何度も考えます。彼はきっと、かつて彼の顔を形が変わるまで殴ってイジメてきた連中をも含めて、How wonderful humans are! なんて思っているのではないでしょうか。地球は彼の遊び場で、私たちはさしずめ蟻ほどの存在なのでしょう。楽しい蟻で居たいものです。
最近、AIと話すことが多いせいで、書き言葉がAIに似てきてしまいました。逆ハルシネーションとでもいいましょうか。
AIの意見は漂白されていて、当たり障りが無く、無味無臭で、無害で、無為です。こんなことをAIに向かって感じるようなとき、人は人の原点を思い出すべきです。私たちはどこからきて、どこへ行くのか。私の場合、初めて化学を面白いと思ったあの日、液性で変わる色とその溶液を飲み干した同級生と、それが怖くて一歩を踏み出せなかった一瞬があります。これを感動の一種だと認識できるまでに20年以上必要でした。
人の原点を知ることは、教育の原点かもしれません。
さて、無駄な話をしてしまいました。学校で教えるときも、塾で教えるときも、いつも無駄な話をします。進歩は、常に無駄から生まれます。なぜなら、合理性は既知の範囲によって形作られているからです。合理性をまず極め、次に人は、非合理的であるべきだということです。
今年、私の飼っていた3にゃんこのうち、2匹が旅立つことになり、見送ることになりました。名残惜しくて、いま生徒のいない教室でちょっと泣く。なんでそんなことを思い出したのかというと、なんだか辻褄があうような短歌をTwitterlandで見つけてしまって、やっぱり勉強って捨てたもんじゃないなと思ったからでした。大げさかもしれませんが、世界に感謝と愛を、こぼして遺していきたい。宇宙船地球号に、あと何周乗せてもらえるのでしょう。
愛をたくさんこぼして生きましょう。
こんなところまで駄文を読んで下さり、ありがとうございました。
初代愛犬の命日だから読み返していた。
短歌を読まない母に教えたら泣かれた。 pic.twitter.com/JReqtjpYuc— 当麻 青衣 (@7888999eeettt) October 5, 2024