子供に勉強を強制するかどうか。それが「子供の自由を侵害しているのでは」と考えることについて。
結論:全ては自由。
とはいえ、個人的な意見でいいから知りたい、という方には、「本人が選ぶ形が望ましいが、やり方には配慮しつつ、ときには強制も已む無し」ではないでしょうか、とお伝えし、求められれば、一度ゆっくりお話ししてみたいところです。(三省堂のサイトによれば、「已む(やむ)」は「そうしないで済む」という意味だそうです。)
いうなれば、勉強せよとする自由と、勉強より楽しいことをしたいという自由の衝突です。どんなバランスを目指すかも自由なので、迷いと悩みは続きます。
以下詳細。
考えてみていただきたいことがあります。
「5歳の頃の自分に、今月の自分の予定と実施を、全て任せる事ができますか?」
紛れもない自分自身に、です。
自分で自分を完全に信用して、自分自身の舵取りを任せることができますか?
それとも、誰かに助言してもらう、手助けしてもらう、ときには代わりに舵をとってもらう、それは望ましいと思われますか? そもそも5歳の頃の自分は、「誰かに舵をとってもらうかどうか、それがいいかどうか」の判断が、正しく下せたと思われますか?
「いいこと」とは何ですか、「いい」の基準を、5歳の自分と今の自分のどちらを信用しますか?
「正しい判断」とは何ですか、「正しい」の定義を、5歳の自分に委ねて大丈夫そうですか?
親がつい、子らに、何か強制じみた力を以て関わりたくなる理由が、ここにあるのではないでしょうか。
さて、人権が守られる為には、人権を守ってくれる社会が必要です。
社会が存在し続けるには、権利が制限されることがあり得ます。
これについては、参議院憲法審査会でさえ、議論が分かれるような内容であるとのことです。
彼らで意見が分かれるなら、市井の我々に様々意見があることも自然です。
彼らの議論と結論を待っていては、今日の授業ができません。
人々の権利が守られるには、健全な社会が必要です。
そして健全な社会の確立と持続に、教育は強く関係を持っています。
では、健全な社会とは何かを模索し続け、よりよい社会を共に創る人を、今日も育てましょう。
ああ、
人権も社会もどっちも大事、と言いたい人。
それは正しいし、気持ちは分かりますが、それを言っている間は何の結論も出ていません。
何も言っていないのと一緒です。政治家のマスコミ対策と同じです。
少子化真っ只中の社会を「健全だ」と認識する人は少ない事でしょう。
少子化を止めるには、人々が精神的に成熟して、「自分の一生は自分一人の物だ」という小さな考えから脱却する必要があります。少なくとも2世代前~2世代後までの5世代が視野に入れられれば、一人前だといえるんじゃないかな。
祖母祖父はどんな人でしたか。そして自分の孫はどんな人生を歩むでしょうか。孫から見てあなたは、どんな人だと思われるご予定で、今日一日をデザインしておられますか。
大きな目標は、地球と自分がもともと一体のものである、と知ることです。単に理科的な事実なのですが、存外宗教と混同・誤解されがちですので、ここで説明をとどめます。
私たちは、自分たちが生き物だという事を忘れがちです。
生命は350000万年ほど続いてきました。
対する人類は700万年ほどにすぎません。
有史以来となると1万年ほどでしょうか。
人権が、過去350000万年の生命活動に挑んでいるのが現代です。
冷静にあり、しかし進歩は忘れずにいたいものです。
こういった考えは、多少の学のある人でも、「分かるけど、理解できるけど、納得できない」様子です。あと一歩、個人主義的な考えから抜け出せない人が多いように思われます。
さて、他にも方法があります。いっそのこと全ての学問を捨ててしまうことです。350000万年の続きをただ続けるやり方。オススメはできません。学問も進化の一つでしょうから、進化の否定となりかねないからです。