今から、あなたの周囲の人にランキングをつけてください。
こんなことを言うと、嫌な気持ちになりますよね。実際、自分の友人がそんなことを言い出したら正気を疑います。でも、誰かを評価するとき、無意識にでも人を比較しますよね。それでは、どのように評価したか、言語化できますか。
本日は、薩摩の教えの男の順序を紹介し、そしてそれを現代に適応させて勉強に関する順序をつくれないかというお話をします。
まずは、薩摩の教えの男の順序を紹介します。
島津義弘公の教えともいわれるそうです。
一、何かに挑戦し、成功した者
二、何かに挑戦し、失敗した者
三、自ら挑戦しなかったが、挑戦した人の手助けをした者
四、何もしなかった者
五、何もせず批判だけしている者
六、批判をし、人の足を引っ張る者
これは、昔の、そして男に適応されたものです。これを現代に、そして誰にでも適応させられる、勉強に関する順序に変換したらどうなるでしょうか。
塾長とお話ししていた内容から次のように考えられました。
一、誰にも教わらず、自ら切り開いていける者
二、長年考えて結論に至ったり、たくさん調べて真理にたどり着く者
三、誰かに教わって二で求められた結論や真理を身につける者
四、教わっても身につかないがきく姿勢を持つ者
五、何もしない者
六、無意味だという者
六について少し言及しましょう。ジュール熱で有名なジェームズ・プレスコット・ジュールはご存じですか。彼は物理学者なのですが、おもりの力によって水中でコイルを回転させる実験や細管からの水の圧出による発熱に関する実験を行っていました。しかし、このような幾たびかにわたるジュールの実験は、世間に認められませんでした。現代ではどうでしょう。熱理学第一法則の発見者の一人としてや熱の仕事当量を実験的に算出したとして、評価されています。
この話から、はじめからなにかを無価値だと否定することはできないと思いませんか。そして、それがどんなに愚かなことであるか考えてみてください。
では、今の自分はこの指標の中のどこにいるでしょうか。自らを見つめなおす指標としても、ぜひ頭の片隅に置いておいてください。
長々とお話ししてしまいましたが、指標を言語化できることってすごいなと私は思います。自分語りになってしまいますが、言語化は趣味のひとつではあるのですが、指標を言語化してアウトプットすることは、評価の公平化にもつながりますし大事なことだなとふと思いました。