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2023年度の高校1年生

投稿日:2023年10月14日 更新日:

長くなるので結論を先に書きます。

2023年度の高校1年生は、ここ数十年で最も特別な学年だと感じています。コロナの影響です。

彼/彼女らは中1になってすぐの1学期の間、学校へ行っていません。「学校に行かない」「家にいる」「集団で過ごさない」「一人で過ごす」「少し調子が悪いときに休む」これらのことが「良いこと」だと3年もかけてじっくり教え込まれた、珍しい学年なのです。

だから彼/彼女らが高1になった今、周りの人間が突然手のひらを返して「少し調子が悪くても、学校に行ったほうがいい」などと言ったところで、彼/彼女らは混乱するだけで、話が通じない可能性がある、そのように考えています。

そして最も重要な点は、心理的な不調と、疫学的な不調とが、混然一体となって彼/彼女らに感じられているのではないか、と、間近で見ていて感じていることです。

つまり彼/彼女らは、心理的負荷がかかったときに、休めば褒められるという行動様式を持っているようにさえ見えるのです。

念の為申し添えますが、心理的につらい思いをしているときは、大人でも子供でも、休んだ方が良いですよ。言うまでもありません。
私がこの記事で伝えたいことは、「不調の閾値や種類が他の学年とは違うのではないか」という点と、「いちいち休むかどうか迷う事自体さえ、彼/彼女らには負担であり、それも不調の原因の一つになっているのではないか」ということです。

今回はそんなお話です。

以下、詳しく思考過程を書きますが、短気な人は読まないことをお勧めします。長く、分かりづらいからです。上に書いてあることが結論です。

彼/彼女らは、小6の最後にコロナで休校が始まりました。
卒業式は限定的ながら実施されたはずです。(違っていたら教えてください。)
そして中学1年生の最初の数ヵ月間を、自宅で過ごした学年です。

小学生と中学生は大きな隔たりがあります。
小学生は楽しさを、中学生は自身の成長と学びを、学校と共に得て歩みます。
児童生徒ら自身が得るべきものが、小学校と中学校では大きく変化します。

学校の先生の話し方、内容、授業の様子も一変します。
皆で声をそろえて授業に参加する小学校から、一人一人自分で考え言葉にして発言する中学校の姿へ。
自ら学ぶ、自分を育てるのは自分自身だと気付くのが、中学1年生です。

この大きくて大切な変化を体感することなく自宅で過ごしたのが、2023年度の高校1年生らです。

一新ゼミでは「最低でも金大」を掲げて高校生らの指導にあたっています。学習計画立案、計画進行確認、全教科の質疑応答、24時間利用できる学習スペース、金大医学科講師4名に加え金大生6名とプロ講師3名の体制で、LINEでの質問も受け付け、さらに大学生になった卒業生らからの質問にさえ答えております。金大以上を目指したことがある方であれば、ある程度は納得してもらえるものかと思われますが、5教科8科目を要する大学入試は易しい道ではありません。

しかも昨今の価値観の多様化、国家間関係の変化と、金利、為替相場の影響、技術力の相対的衰退、老齢者に資本が偏り若年層が貧しい事、増税眼鏡、金融商品の多様化、インターネットと端末の普及と普遍化、旧発展途上国の若者の労働市場への継続的流入(コンテナ物語を参照:東京群馬間より東京上海間の方が輸送費が安い)、国境を越えた明示的暗示的な能力競争と仕事の争奪、技術進歩そのものの加速(とそれによる専門職の魅力の低下)、これら枚挙に暇の無い理由による日本のプレゼンス低下と円の下落、にも関わらずなお叫ばれる「給与の安さ」。

この状況で、高校で学ぶことや大学進学が、いま一つ若者にとって魅力に欠ける選択肢であることは、否めるものではないでしょう。大学進学が当たり前になった今、当然の帰結です。親たちの願いが集まってできた仕組みが、結果的に子らを苦しめているのかもしれません。

そのような環境にあってなお、一新ゼミでは強烈に「学び」を推進しています。講師も日々学び、生徒も日々学びます。塾長や教室長とのやり取りを通し、「考えと行動は論理的に説明できよ」という姿勢の元、中学校や高等学校が失った機能を補完すべく、学生の未来を毎日一緒に作り上げています。

文科省の方針に基づき、論理的ではないただの知識は、いまやますます入試の現場からは消えていっています。たとえ昨今の入試改革が無くとも、己の考えを根拠とともに論理的に説明できることは、「人と人が協力して事業を為す」ときに必要です。(後日加筆:)ただし、論理を掘り下げたところに、感情は存在します。私たちは人間、感情も人間も愛おしいもの。ケインズの師とされるマーシャルは1885年に “with cool heads but warm hearts”(冷静な頭脳されど温かい心を以て) という語を掲げ、「社会的な困難を解決するまで尽力する強い人を一人でも多く育てたい」と言ったそうです。理学徒の私も同じ思いです。学問とは同じ水脈に繋がる井戸のようなものと、二十歳だったある医学部生が言っていました。(加筆終り)

親世代は先に死にます。「丁度良い他人」である塾の先生と、自身の勉強に関して協力できるかどうかは重要です。必要なことや自分の想いを説明できない子は、自分の道を自分で説明できないままの子は、いったいいつ、だれが鍛えてくれるのでしょう。学校にそのような機能はもう存在しませんし、復活もしません。なぜならこれを教育するとき、おそらく登校できなくなる者の弥増しに、教員があらゆる方向から袋叩きに合うからです。これを書いている私も一新ゼミも例外ではありません。したがって、こんなにも語気強く記述しておりますが、実際には生徒個々の状況と個性に合わせ加減を続け、一人一人に向き合っています。

さて、この長い長い前提のもと、我々はそれでも学校と学校教育を重視し、生徒らの学習指導にあたっています。なぜなら、学校教育には多くの無駄が含まれる一方で、体系的に多くの知識を教え、学ぶ機会を与える役割が、現代においてもしっかりと認められるからです。これは、二十余年教職と塾主宰に時間を割いてきた私が何度疑ってみても、やはり他のもので代替できるものではなさそうだからです。(実際には、他のやりようもあるのですが、経済的合理性に欠けるため、多くの人は結局学校を選ばざるを得ません)

生徒らに教えていることを少し紹介します。もしもの話ですが、職場からも家からも距離があまり変わらず、かつ、技量もほとんど変わらない自動車修理工場が2つあったとします。それが「不定休で運営する工場A」と「定休で運営する工場B」だとします。車が故障した時、どちらも開いているなら、あなたはどちらの工場に修理を依頼しますか。そしてそれはなぜですか。

お金がどういうものなのか、どうして暮らしと密接にかかわっているのか、敷衍して、なぜ私達は子らに学校のある生活を望むのか、分かりやすい思考実験だと思うのです。

納得が無いまま、辛い事を続ければ、辛い思いをするのは当然です。

お話はこれでおしまいです。

ここから先の内容が必要だった人は、きっと、ここから先が書かれないことに不満を感じることでしょう。人は、不満に思うかどうかさえ、常に自由です。他者に対して何かを求めるか、自己に対して何かを求めるか、不満に思うか思わないかは、尊い自由なのです。全ては価値観の多様化その過程だと感じます。なかなか変えることが難しい、世の中の大きな変化、潮流に感じます。

願わくは、私たちの明日と、ここまで読んで下さった方の明日が、良い日でありますように。

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